「評価の命は紙一重」~伸ばす評価とつぶす評価~
2024年09月20日(金)今日の出来事
誕生日を、子どもたちはとても楽しみにしています。誕生日の翌日は「ケーキを食べた。」と、お家でのお祝いの様子を嬉しそうに話してくれます。
そして、誕生日のお祝いは、子どもたちの心の成長を促す機会になっているようです。こんなことがありました。
朝ののぞみの会の前、子どもたちが、班ごとに1m四方のマットに座って待っていると、1つの班でケンカが始まりました。4歳になった年少さんと2歳児さんの2人が、マットのどこに座るかを巡って、場所の取り合いをしていたのです。ケンカが治まらない中、その様子を隣でじっと見ていたさとが、「4歳になったのだから譲ろうよ。」と、座りたい場所に固執する年少さんに諭すように話しかけたのでした。すると、さすがは4歳の年少さん。さとの話を聞き入れて、ケンカ相手の2歳児さんに、自ら場所を譲って一件落着となったのでした。
さとも、その数日前に4歳になったばかりで、お家での誕生日のお祝いの様子をニコニコした表情で話してくれました。「4歳だから譲ろうよ。」というさとの一言は、お祝いのなかで、何らかの自覚を促すような会話があったからではないかと思ったのでした。
その後、こんなこともありました。集団遊びで、班の皆で手を繋ごうとしたときのことです。さとが、大好きなりょうたと手を繋ごうとしたのですが、りょうたは、他の子と手を繋ぎたかったので、さとの手を振り払ったのでした。思いが通じなかったさとは、泣いてしまい、誰とも手を繋ごうとしません。そこに、年長のこうやが来て、さとに「手を繋ごう。」と優しく話しかけると、さとは泣き止み、りょうたを諦めて、他の子と手を繋いだのです。後で、さとに、りょうた以外の他の子と手を繋いだわけを聞いてみると、「僕は、4歳になったから。」と、さとが答えたのでした。
夕方ののぞみの会で、この出来事を皆に紹介して、「さすが、さとは4歳。大好きなりょうたを諦めて、他の子と手を繋ぐことができたね。」と、言ってほめると、さとは嬉しそうに話を聞いていました。

(綱引きの練習が始まりました。)
しかし、ここで気を付けることがあります。大人が、子どもたちの行動をよく見て、良い行動をほめていくことは、子どもたちの成長を促すうえで大切です。しかし、伝え方を間違えると、子どもを縛り付けることになり、逆効果となってしまうことを考えておく必要があります。
例えば、「4歳だから、我慢しなさい。」「4歳なのに、なぜ我慢できないの。」と、子どもに行動を押し付けてしまえば、どうなるでしょうか。4歳になった喜びも、これから頑張ろうとするやる気も消え失せてしまうことに成り兼ねません。でも、「さすが、4歳は違うね。我慢できたね。」と伝えるならば、4歳になって、自らがんばろうとする気持ちや自覚が芽生えてくると思うのです。微妙に言い方が違うのですが、似て非なる伝え方です。
子どもたちに伝える指導言が、やる気や自覚を伸ばす豊かなものになっているのか。逆に、イライラした感情に駆られて、子どもたちを責め立て、やる気を削ぐものになっていないのかを吟味していく必要があると思います。
つい、「4歳になったのに。」「班長なのに。」と、できて当たり前とか、罰を与えるような減点法で子どもたちを評価してしまうことがあるのですが、「よくできたね。さすがだね。」と、加点法で評価し、よりよい行動やできたことを励ませば、子どもたちの嬉しさややる気が表情から感じ取れます。
小学校では、子ども達への指導言を大切にして子どもを伸ばそうとする先生は少なかったのですが、子どもへの伝え方に拘って評価されるのぞみの先生の姿に、集団づくりの真髄を日々感じています。
(文責 岩木)


卒園児のまひろから栗を頂きました🌰⭐️
ありがとうございました😊

(たんぽぽ組からの進級を前に、なずな組で一緒に散歩に行っています。)

(散歩の後はプールでクールダウン。背泳ぎのつもりです。)


給食を食べ終えた子ども達が「おいしかったよー」「おかわりいっぱい出来たよー」と喜んでいました😄
今日はバイキング給食でした♪

「大丈夫かな~」

自分で食べれる分だけ
こぼれないように頑張ってます‼